Thursday, January 11, 2007

外川駅(銚子電鉄)
外川は、むかし黒潮にのって紀伊半島からやってきた漁師が最初に住みついたところ。海岸段丘に沿って潮焼けした民家が雛壇のように並んでいます。外川駅はそのいちばん上に建つ木造駅舎。かつて銚子電鉄がある建設会社の子会社になったとき、起点の銚子からみて観光客が見込める犬吠駅までをポルトガル風に改築しました。でも、終点の外川はどんずまりの漁師町だったので放っておかれたようです。おかげで、大正12年以来の趣深い駅舎がいまも現役で旅行者を喜ばせています。いりくんだ漁師町にあたまを突っ込んだようにして終わる線路、だから駅前の広場は人間たちのもの。駅頭の道はジャリ、地元有志が「雰囲気が出ない」と舗装をはがしたそうです。その横をおんぼろ電車(失礼)が発着します。20年ほど前、この駅では石油缶を半分に切って作った「ちりとり」を売っていました。いまでは駅長さんが販売する名物「ぬれせん」が好評です。外川駅から坂を下って渚まで、ぼくの短い足で555歩でした。
大磯駅(東海道線)
夜、東海道線のくだり電車に乗ると大船、藤沢、茅ヶ崎、そして平塚と似たような橋上駅が続きます。ところが大磯駅についてドアが開くと、ぽっかりと暗闇が開きます。ホームの屋根も半分ほどしかなく妙に暗い線路際、そう、この駅には野立て看板がいっさいないのです。だから夜は真っ暗。かつて、大磯に住む文人たちが広告看板排斥運動をしてぜんぶ撤去させたという話。大磯駅舎は古く、大正14年に三代目駅舎として建てられたままです。ところで、大磯駅にはエスカレーターもエレベーターもなく、古レールで作った古色蒼然とした跨線橋があるだけです。バリアフリー化は著しく遅れて、ようやく工事が始まったところです。なぜ遅れたかというと、工事に必要な町の予算が町議会で否決されてしまったからです(ぎりぎりで修正可決)。地元にはどうしても橋上化した新駅舎を作りたい人たちがいて、現駅舎を生かしたかたちでバリアフリー化されると改築の理由が無くなってしまうからです。駅舎改築となると周辺の都市計画も含めた大規模な開発になるので、さまざまな利権を持っている層にはとても魅力的な案件なのでしょう。でも、大磯駅を利用する多くの人は少し不便でもこの端正な駅舎のままでいて欲しいと願っています。初夏になるとツバメが駅に巣を作って“爆弾”が落ちそうなところには『ツバメ子育て中』の短冊が下がります。跨線橋には海岸方面の案内に『for beach』と書かれています。駅前の横断歩道に信号すらありません。人もツバメもクルマも折り合いをつけて共存しています。これからもずっと、扉が開くと真っ暗な大磯駅でいて欲しいと思います。
風祭駅(箱根登山鉄道)
ご覧のとおり『ホーム完結式ステーション』です。おまけに玄関が線路を横断する踏切の“中州”に面しているので、電車が通過すると小さな遮断機が下りて駅を封鎖します。それはともかく『風祭』とはいい名前ですね。国土地理院の地形図検索で調べても全国でここにしかない地名のようです。ココにしかないといえば風祭名物のドア扱い、もともと(いや今も)箱根登山鉄道の駅なのでホームの長さが49mしかありません。このためやってくる小田急の電車はおおきくホームからはみ出てしまいます。その対策として上り下りとも箱根湯本よりの1両だけを乗降用にして非常用ドアコックを使い手で扉をこじ開けます。つまり非常用を常用とする珍しい駅です。ホームに待機したドア係の駅員が、電車がちかずくと白手袋の指を鳴らしてウオーミングアップしています。ところで国道1号線は駅のすぐとなり、ここにはカマボコで有名な『鈴廣』の工場があって、年の瀬になると直営店でおせちの具の大売り出しをします。そんなときは風祭駅も大にぎわい、ちんどん屋の吹くチャルメラが駅まで聞こえてきます。
御室駅(京福電鉄北野線)
この写真ではよくわからないかもしれませんが、正面奥に小さくみえるのが御室駅です。そして手前に見える柱が仁和寺の二王門、あの徳川家康が寄進したという国宝で、仁和寺自体も世界遺産というブランド寺院です。そのせいか、いましも外人さんの二人連れが風のように通り過ぎていきました。御室駅は寺社風の構え、でも軌道線の停車場なので入ったらすぐ向こう側に出てしまう映画のセットみないな薄っぺらい建物です。しかし、これでも『近畿の駅百選』に選ばれています。ま、門みたいという意味では200m先に立つこの二王門とおなじです。だから駅前からの道は『駅百選と世界遺産』を結ぶ道路なのです、大した意味はありませんが。
この通りは京の町らしく、歩くたびにどこからかお香が漂ってきてとても風流です。日本人ならここで一句、と思うのですがすぐに仁和寺についてしまいます。ところで’07年3月から『御室仁和寺』という駅名に変わるそうです。
おむろにんなじ。ちょっと、俳句に詠むには長すぎる駅名です。
西御坊駅(紀州鉄道)
紀州鉄道は全長2.7kmの実質日本最短の私鉄です。西御坊はその終点の駅、もともと臨港鉄道だったのでこの先まで線路はあったのですが、いまではまくら木で線路を閉じています。だからここは天下御免で真正面から写真が撮れるところ、いましも下り列車が接近中。左のハードコアな鉄道おじさんに、神戸からやってきた家族連れ三人がかぶりついていました。西御坊駅は紀州鉄道では珍しい有人駅で、ささやかな駅舎にはきっぷを売るオバチャンと、運転士の休憩所があります。このときも運転士さんが出てきて鉄道ファンと話した後、たまたまやってきた魚の移動販売車からアジを「晩ご飯のオカズ」に買っていました。昼下がり、時間がゆっくり過ぎていくような終着駅でした。
浜寺駅前駅(阪堺電気軌道)
『駅前駅』へんな名前ですね。それというのもこの駅は、南海電鉄浜寺公園駅の駅前にあるからです。浜寺公園というのは明治大正のむかし、泉南の松林にあった海辺の遊園地で、夏になると近畿圏から海水浴客が集まる人気のリゾートでした。日本初の私鉄、南海鉄道(旧名)がその輸送を独占してドル箱路線になっていました。それををみて割り込んできたのがこの阪堺電軌です。南海の駅と公園の間に駅を置いて華々しく開業。今なお続く関西名物、鉄道同士のバトルですね。戦前は阪堺電軌の運転手がこの駅前で客引をして南海の運転手とケンカになったとか、賑やかなことですねえ。今では海岸部が工場地帯になって、すっかりさまがわりしましたが通りには料亭や土産屋がまだ集まっています。ちなみに浜寺駅前駅の前(まわりくどい言い方だ)にある和菓子屋の『灯台もなか』は、ぼくの好物です。
琴電志度駅(高松琴平電鉄志度線)
志度線の終点、琴電志度駅は高徳本線志度駅の駅前通りにアタマをつけるようにして終わっています。写真の奥の方にささやかな駅舎とカイズカ?が一本茂っていて、たまたま行ったとき元京浜急行の30型(写真)が停まっていました。琴電志度線と長尾線は京急とおなじ標準軌なので、元京急の電車がよく走っています。琴電志度駅からすこし歩くと平賀源内の記念館があって、あのエレキテルを回すこともできます。さらにその先には志度湾がひろがって、浜には名物の“カキ焼き”屋が並んでいます。ぼくは生ガキが好きなので、高松の知人に、焼いてないカキは食えんのか?と訊くと「たぶん、焼いたほうが体によろしいかと」という返事。この琴電志度駅、むかしは200mほど戻ったところが駅だったと聞いて見に行くと、そこには「元は下駄倉庫」という建物があって、なかはおしゃれな自家焙煎珈琲屋になっていました。志度線の前身は明治44年開業の東讃電気軌道で当時はここが終着駅だったようです。おまけに四国でもごく早い時期の電化路線。「さすがエレキテルの地だ」と、美味しい珈琲を飲みながら思いました。
美作滝尾駅(因美線)
美作と書いて「みまさか」と読みます。そして山陰の因幡(いなば)と山陽の美作を結ぶから因美線、でも智頭急行というショートカット路線が開通してからすっかりヒマになってしまった因美線の智頭~津山間です。美作滝尾駅はそんな区間にある、わすれられたような無人駅です。駅前に数件の家があるだけの木造駅舎ですが、昭和3年の開業時の姿をほどよく残していて、居心地とたたずまいの良さは中国地方屈指の駅だと思います。そして4月初旬、駅前のソメイヨシノが写真のように満開になります。見事な花をみていると
「身を捨てて 浮かぶ瀬もあり春の日の 思いも散りぬ 桜花かな」
そんな詩がアタマをよぎるほど、危なく美しい美作の桜でした。
西大山駅(指宿枕崎線)
薩摩半島を走る指宿枕崎線、この西大山の位置が日本最南端駅であることから有名になりました。ところが沖縄にモノレール(ゆいレール)が開業したので「日本」最南端の座を明け渡したものの、「JR最南端の駅」という看板を掲げて気を吐いています。いましも「大牟田から2日がかりで走ってきた」というライダーが記念撮影。この直後、さわやかな南風が吹いてスローモーションのように三脚を倒してしまいました。春風と開門岳に菜の花、暖かくて殺風景な無人駅には、まだちゃんと『最果て感』が宿っています。ところで西大山駅のある指宿枕崎線の大川~枕崎間は列車が数時間に1本という超閑散区間、だからこの大牟田ライダーのように、鉄道よりクルマでやってくる人のほうが多い駅でした。
柳原駅(長野電鉄)
有明駅(篠ノ井線)
姨捨駅(篠ノ井線)
穂高駅(大糸線)
湯田中駅(長野電鉄)
朝陽駅(長野電鉄)
中塩田駅(上田電鉄)
松代駅(長野電鉄)
明科駅(篠ノ井線)
桜町駅(飯田線)
新村駅(松本電鉄)
       上諏訪駅(中央本線)
桐原駅(長野電鉄)
別所温泉駅(上田電鉄)

Wednesday, January 10, 2007